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家はたんに住む機械ではなく、魂の容器

2011.12.16

「宇宙は非家である」とも言っている。この1節のなかには宇宙の虚無に対する鋭敏な存在論的脅えと、人間の生のよりどころとしての家に対する信仰が、分かちがたく融けあっている。こお言葉は、建築家の「家は住む機械である」という有名な命題と明確な対称性を示す……コルビジエの断言の中に感じられるのは、全宇宙をも合理主義によって割り切ろうとする、傲岸とも言える明晰さである。そして、この傲岸さは、宇宙が、神であれ仏であれ、なんらかの超越者の手によってつくられたものと考える信仰者の謙虚さとまったく異なるようでいて、一面では通じ合う性質を持っている。

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つまり、合理主義者にとっても、信仰者にとっても、宇宙が、人間のものであるか、父なる神のものであるかの差はあれ“家”なのである。しかし、右の2つの立場のどちらにも立てないままに、日常生活の具体性のなかに生の支えを見出そうとする人間にとっては、宇宙は、〈具体性とは、……不可避的に“物”との交わりを含むものだ。ワインを飲むことが、たんに滋養分を摂取することではなく、生の幻影を支える行為の一端であるならば、そこにはひそかな儀式性が潜在している。その場合、ワイングラスは、たんなる飲む道具ではなく、1つの聖でもある。家は、このようにして日常の具体性に関わる“物”の中で最大であり、また、さまざまな物に統括性と場を与える存在だ。ワイングラスがたんなる道具ではないように、家はたんに住む機械ではなく、魂の容器でもあるのだ〉20年前の自分の文章を引用していて気づいたことの一つは、主語が“ぼく”であり“私“ではないことで、そこには幼さと若気の至りが見え隠れして気恥ずかしいが、私の基本的な考えはこの時といささかも変わらない。